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脳死について考えてみる

先日、なぜか10歳の娘と「脳死」の話題になったので(なんでやねん)、
そんな話題を。


今から20年近く前かなぁ、私が初めて「脳死」というコトバを知ったのは。

  『脳死』
  『脳死再論』

という本を読んだのがキッカケでした。
たしか立花隆さんの著書でした。

当時、特に脳死に関心があったわけでもなく、ただ立花隆さんの著書には
私が好きな宇宙の本がいくつかあり、けっこうおもしろかったので、それ以外の
著書も読みあさっていた頃だったのです

本の詳しい内容は忘れてしまいましたが、脳死のこと、ほんの少しだけ、
理解できていたんじゃないかと思います。


私は「脳死を死と認める」とか「臓器を移植することの是非」を論ずることには
消極的だし、何より知識が及んでいないのですが、

  『脳死という状態』

をよく理解せずに感情論で世間の波があっち行ったりこっち行ったり・・・って
なっているように思えてしまうのですが。
母と話していても、脳死状態と植物人間の状態を混同しているようだし


娘と話していても「脳死」や「臓器移植」についての結論なんか、もちろん出ま
せんが、

  「20年前から医学や科学はめざましく進歩したけど、人間はその進歩に
  ついてこれていないんじゃないか」

という感想を持っています。

人工呼吸器が世に出て、たくさんの命を救った反対側で、それまで存在しな
かった「脳死」という新しい人間の状態がうまれた。
古代から、人間の死とは唯一「心臓が停止する」ことだったのに。
そんな簡単に「あぁ、そうなんですか」って新しい死を理解することも受け入れる
ことも無理があると思うんです。


私が現時点で思うことは、

WHOや他の先進国がいくら「脳死は死」と認めていようが、人の「死」が深く
関わっている限り、その国や地域での倫理感も大切にしなければいけないの
ではないかということ。
「死刑論」も同じだと思うんです。

万人にとって正しい結論なんて無いと思います。
ならば、その国・地域での考えかたや倫理で決めればいいんでしょうけど、
国内でダメだから海外で臓器移植するとなると、それは成り立たなくなっちゃう
し、本当に難しい問題です。


  当事者と非当事者の間にあまりに大きな意識の差があるから。


脳死問題に限らず、ほとんどの問題の根っこはここでしょうね。

せめて、当事者でないなら、間違った知識で当事者を不用意に傷つけないように
したいものです。

2009/07/07(火) | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)

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